菊のご紋入り印籠の不思議話
さて先日三弘法記念法要に伺った話を書きましたが、その後不思議なことがあったんです。

参拝する前にチャネリングをすると、小刀と数珠が頂けるという話だったのですが、
それとは別物が、実は見えていました。
今日はその話を書こうと思います。
大輪の黄色の菊の花が1本立っていました、
でも茎がやせ細っていて、かろうじて咲いてる感じなのです。
で、何故か私はお花の入った小さな花瓶を 次々と神棚に供えていました。
そうしたら印籠が見えたんです。
写真はWikipediaからお借りしました。

菊のご紋入りです。
(この辺りで宮家に関するお話だなぁ。。と気づきました。)
印籠の中には文と金色の人型が入っていました。
ようわからないけど、この人型にエネルギーを入れておけばいいのか~? (笑)
行く前にちゃんと調べておけば良かったのですが、久しぶりに空海さんに会いにいくんだ~ しかなかったもんで。。
三弘法には仁和寺さんが参加されています。
(私は空海さんの小さな弟子の一人だったので、今生縁のある東寺しか行ったことがありません。)
法要の時、私の前には東寺のお坊様達が座られ、反対側には仁和寺のお坊様がいらっしゃいました。
(袈裟の柄に菊のご紋が入っていたからです。)
そう言えば菊の印籠が見えたっけ。。
調べてみよう。。
仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。
宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となります。以降、皇室出身者が仁和寺の代々住職(門跡)を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。
仁和寺は直接空海さんと関係があったというよりも、宇多天皇が空海さんをものすごく尊敬されていたとかで、仁和寺が真言宗になった様ですね。
ふ~ん。。そういうことか。。 ととりあえずは印籠の流れを納得したわけです。。
次の日、唐突にまた菊のご紋入り印籠が現れまして、それを巾着に入れて私が持ち歩いているのです。
(えっ! あれ頂いたの私???)
なんかね あの印籠を持っていれば、夜道でも邪気が来ないって言われました。。
家の入口に掲げる蘇民将来札の持ち歩き版ってことなのかな~?
有難い話だけど、そこまで歴代宮家と私は関りがあるとは思えないんだけどな~。
(一時朝廷の陰陽師をしていたことがある程度です。)
勿論空海さん繋がりもあるんだけど、崇神天皇の御計らいも入ってるかも??
なんか色々と繋がっていくな~と思った次第です
もしかしたらこの先、そちらとご縁のある魂にも会う事になるのかもしれませんね~。
(それがメインだったりして。。)
まぁ、楽しみに?しておきます。